JP | EN
私ならどうするか
2016年03月27日

最近面白いなと思うことがあった。数日前に起きた僕の友人のスキャンダルについて、インターネット上でよく見かけた意見は”あれは悪いことか、それともそれほどではないか”というものだった。要はことの善悪について話されているものが多かった。

ところが別の会合に出席した時、話題に上ったのだけれどその主な内容は”自分だったらどうするか”ということだった。実際にことの善悪や、それを自分がするかどうかはさておいて、もしそういう状況だったらどう振る舞うともっともダメージが少ないのかということが議論された。

昔とあるレースで失敗をした時に、しょぼんとしょぼくれかえっていると、当時仲が良かったアメリカのコーチが”Don’t suprise”と教えてくれたことがある。スポーツの現場では初めての状況に遭遇はするのだけれど、その時にそれが本当に初めての状況なのか、それとも事前に(完全には同じではなくても)その状況を頭の中でシュミレートしてあるのかで、まったく対応が違ってくる。状況にでくわしてから考えているようでは間に合わないし、パニックに陥る恐れもある。それからはレースの前に事前に頭の中で入念に様々な状況をシュミレートしておくようにした。

元陸上自衛隊で第35代西部方面総監の番匠幸一郎さんと対談した時に、誰にでもできる危機管理について尋ねたら、”想定しておくことですね”とおっしゃっていた。例えば今後ろから襲われたら、どちらに逃げるべきか。出口はどちらの方向か。この高さであれば飛び降りても助かるか。そういうことを考えておくだけで、何かあった時の対応は違ってくるそうだ。

善悪がはっきりしすぎていて物事をそれだけでジャッジしてしまい、あれはよくないことだ→私はよくないことはしない→だから考える必要もない、となってしまって、考えることをやめてしまっている人がいる。ところが、まったく同じ状況はなくても、人生では(主体的に動けばだが)初めての状況や想定外の状況というのはよくやってくる。その時、役に立つのは”もし私だったらどうするか”と考えた形跡だと思う。

あなただったらどうする?と質問されて面食らったり、私はそんなことをしないから考える必要もないと言っている人は、日々状況を想定せずに生きている可能性が高い。想定する癖がない人は、初めて出くわすことが多くなり、出くわしてから考えるので、対応が後手後手に回る。主導権をそもそも握った経験すらない可能性もある。

あの人はなんでも答えられてすごいと思われている人も、膨大な思考の跡があるように思う。私も多少なりとも質疑応答をすることがあるが、その場で答えているのではなくて、過去に考えたものをファイルから引っ張り出すだけなんだということに気がついてから、質はともあれだいたい答えられるようになった。

陸上のレースでは9割がた勝負はスタート前にはついている。社会において難しいところはここからがレースですよというのがはっきりしていないことで、だから日々想定し続けるしかないのだと思う。

THINK MORE
MAIL MAGAZINE