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若い時の天才
2016年02月13日

さて、スポーツの世界には天才と呼ばれた人間が結構な数でいます。ところが皆さんの認識で引退した後にあいつは本当にすごい選手だったとなるのはかなり珍しいでしょう。しかも不思議なことに10代に天才だと評された人ではない人が、最後には名選手だと言われることもよくあります。では一体若い時に天才だった人はなぜにそのまま成長できないのでしょうか。

まず第一にただの誤認識があります。私が現役だった25年間の間に20年に一人の逸材という言葉を2年に一回ぐらい聞いたので、それをそのまま鵜呑みにすれば人の認識はかなり上振れしやすいということかと思います。つまり、一度こいつは天才だと思うと、どんどんと期待値が高まっていってこれはとんでもないことになるぞとなっていくわけです。バブル状態のようなものでしょうか。

ところが、多くの場合若い時天才と呼ばれている人というのは、ゆらぎの上振れのようなものと言えます。何事も物事は常に平均値を移動するわけではなく上にぶれたり下にぶれたりしていきます。十数年かけて動きを見ていればそれは上振れに過ぎないとわかってくるのですが、最初の上振れの時はそれが上振れなのかそれとも本質的な上昇なのかがわからないわけです。冷めた意見になってしまいますが、前半飛ばしている選手を見て天才だと評してしまっていたに過ぎないということがまずあります。

もう一つ厄介なことは、周囲の熱狂です。何しろ天才自身も、それからその親も、そして指導者も、更には周辺も、天才と呼ばれる人に触れるのはだいたいにおいて初めてなわけです。舞い上がらないわけがありません。これは他とは全然違う。今までとは桁違いだ。そういう評価を内部もさらに外部のメディアからもされ、どんどんと気持ちは加速していきます。いくら落ち着こうと思っても落ち着くのはかなり難しいです。けれども実際のところ、あいつは全然違うという言葉は僕の現役時代だけでも何度も聞きました。その中で本当に他とは全然違う存在になったのは室伏さんだけでした。

さて、熱狂の最中では、どうしても地に足がつきかねるところがあります。その状態で行われるトレーニングも、そして意思決定もやはり地に足がついていないことが多く、結果として少しずつ本人も周囲も気づかないままにずれが生じてきます。厄介な話なのは、ずれの悪影響はすぐ出るとは限らないということです。何年もかけてずれは心の奥底で進行していき、競技人生のいざ本番の時、または引退してからの人生でそのずれは顕在化していきます。普通の社会人と同じように、年齢がいくほどこのずれを是正するのは難しい印象があります。ずれについてはまた機会があれば書いてみたいと思います。

兎にも角にも、特別な環境を作ってうまくいく人は、極めて稀だと私は考えていて、そんな割の合わないギャンブルをするよりは、自分は平凡であるというところからスタートした方がとてつもない偉人にはなれなくても、それなりに成功しやすいと考えます。

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