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修行期
2014年10月28日

昨日なぜだか修行の話になった。競技人生ではある時期に積み上げる時がある。効率的か非効率かよくわからないまま、ひたすらに行為を積み重ねる。自動的にできるようになるまで積み上げてからでないと見えないものもあって、それでよかったと思うアスリートは多い。

人生において修行期がどんどん少なくなっている。それはとても自由なことだけれど、一方でとても残酷なことだなとも思う。無駄に反復練習をさせられて嫌だと思う人間が減ってきている。代わりに何が効率的か、何が重要なことかがピンとこない凡人の人がそれなりの人になるために必要な期間もなくなりつつある。勘所を掴めない人が、つかめるようになるまで積み重ねるという経験ができない。

どの言葉を知ればいいのか、どういう文法を使えばいいのか。そういうことを理解する前に私たちは使ってみる。使ってみて使ってみて、段々と言葉をつかんでいく。言葉と一緒にするのは乱暴かもしれない。けれども技能には少なからず同じ要素がある。無意識でできるぐらいになって初めて使い物になる。

凡人の修行期は努力と成果やリターンが割に合わない。練習してもすぐ試合に勝てるわけじゃない。アウトプットの質も低い。そういう時期をある一定期間耐え抜くことで質が上がってくる。結果として成果と見合ってくる。対価を得るために行っているのか成長のために行っているのか。実は極めて曖昧なその境目を移行するタイミングを間違えれば、1割ぐらいしか打てないバッターとして自分を落ち着かせることにもなる。

もう修行しなくてもいい時代に入っている。修行の効果は10年後に効いてくる。その時の自分の質は今の積み重ねが決めている。幸せな今と、積み重ねる今。どちらの人生を生きるかを私たちは選べる時代に入った。

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