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結果論の落とし穴
2014年09月29日
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結果が全てであるというのは、私が前にいたスポーツの世界では当たり前の事だった。とにかく結果を出す、そういうマインドセットになるという点においては結果が全てであると考える事はよかったのだけれど、実はちょっと危うい落とし穴もあったように思う。

結果が全てと考える時、結果がよかったか悪かったかが、プロセスの評価の全てになる。よければいいプロセスだったはずだ、悪ければ悪いプロセスだったはずだ。振り返って分析する時も基本的にそうやって探すから、結果が悪かった時に何がプロセスの中で良かったかを考える事は基本的に少ない。

勝負はさほど確かなものではなくて、時の運も多分にあった。例えば勝率10%の作戦がある、一方で勝率90%の作戦がある。前者が一回目にたまたま成功する時もある。そうするとその作戦を繰り返してしまったりする。勝ち負けはあくまで最後の運も交えた結果だから、正しい事をやったけれど負けたという事も有り得るのだけれど、そこで冷静になる事が難しい。

結果を出した人の言葉は聞いて、そうではない人の言葉は聞かないという事が時々ある。結果論の世界が精神論に染まりがちなのは、言葉がさほど意味をもたなくなるから。いくら考えても、結果が出なければ正しくないし、出れば正しい。理屈で考えて答えを導いても誰も聞いてくれないけれど、勝っちゃえば何を言っても頷かれる。結果論の世界は権威主義的でもある。

負けたけれどたぶん間違えてないからこのままいこう。勝ったけれどたぶん偶然だから戦い方を変えよう。そう考える事の難しさ。結果を出し続ける為に、結果だけで評価しすぎない方がいいという矛盾。

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