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原理原則を守り、良い方向に変わっていける国へ
2021年02月08日

東京五輪のHPの大会ビジョンをみてみるとまず冒頭にこんな一文があります。

 

「スポーツには世界と未来を変える力がある」

1964年の東京大会は日本を大きく変えた。2020年の東京大会は、

「すべての人が自己ベストを目指し(全員が自己ベスト)」

「一人ひとりが互いを認め合い(多様性と調和)」

「そして、未来につなげよう(未来への継承)」

を3つの基本コンセプトとし、史上最もイノベーティブで、世界にポジティブな改革をもたらす大会とする。

 

私はこの言葉たちはとてもいいなと思いました。世の中を変え、それを未来に繋いでいく。そのドライブ機能としてスポーツと五輪を使っていくというメッセージに共感しました。特に多様性と調和は、ジェンダーギャップで大きな課題があると言われている日本が覚悟をもって発するべきメッセージだと強く感じました。

一方、私たちの社会に目を向けても、またスポーツ界に目を向けても、あまり変わっている印象をもてません。世界に改革をもたらすであろうメッセージが日本から発せられている様子もありません。むしろ世界を見渡すと日本だけどんどん遅れていっている印象すらあります。変わろうと思っても変われない、私たちの国の課題はいったいなんなのでしょうか?どうして日本の存在感はここまで低下しているのでしょうか。

2020の東京五輪を迎えるにあたり、スポーツ界にさまざまな注目が集まりました。次世代の選手たちが注目され、とても希望がもてました。もう一方で、スポーツ界に長らくあった課題もたくさん表に出ました。協会のガバナンスの問題、体罰、ハラスメント、そしてジェンダーの問題です。世界中が問題を認識し、男女平等の実現に取り組んでいる中、日本のスポーツ協会の理事構成は男性9割弱、女性は1割強です。

一つ一つの問題には違う要素がありますが、私はスポーツ界全体に(もしかすると社会全体にも)通底する同じ課題を感じています。それはどんな社会が理想かを皆でオープンに率直に議論し、そこで描かれた理想から原理原則を導き出し、その軸に従って決定を行なっていく文化の欠如です。性別に拘らず誰もが認められる社会にするべきですねと言えば多くの人が賛同します。ところがこれを実行に持っていこうとすると、ビジョンや原理原則はあくまで理想であって、実際にはいろんなことがあるんだよと、多くの利害調整や重鎮への忖度が行われ、裏のすり合わせで着地点が決まる。いざ議論をする場所では誰も本気で議論せず、意見を言う人はむしろ煙たがられるような文化が、日本の発展を改革を阻んできたではないでしょうか。

ではどうしてこんなふうになってしまったのか。私は日本社会が本来こうであったとは思いません。もっと誠実に議論が交わされて、ビジョンに従って運営されていた時代があったと思います。こうなってしまっている理由に、私は「リスクをとって発言・行動する人を育てる教育文化が弱い」そして「意見を言う姿勢を大人が見せられていない」ことが原因にあると思います。

原理原則に従って判断することは、個人の問題として押し付けないということでもあります。きっと体罰を振るう指導者の中にも、生徒思いの指導者の方もいると思います。森会長もさまざまな貢献をされているのだと思います。しかしそのこととは一線をおいて、発言や行動が原理原則に反した場合、然るべき対応をとる。たとえ相手が誰であっても原理原則が適用されるということは、裏を返せば、理不尽な理由で処遇が決まらないということです。人や空気ではなく理想と原理原則に従うという約束をするということです。

今、日本が世界から、スポーツ界が社会から問われているのは

・社会に約束した理想(vision)、原理原則は本当の約束だったのか
・この原理原則に反した時、たとえ相手が誰であろうとも平等に対応することができるのか
・諦めずに声を上げて意見を言う人はいるのか

ということだと思います。

この問題は社会の構造であり、そして私自身の中にもある問題だと思っています。昨日沈黙は賛同であると言われ、はっきりとした意見を出していないことを強く反省をしました。私たちはこの機会に、本気でこの課題に向き合い、誰もがオープンに議論に参加でき、また個人は声を出す勇気を持ち、理想を描ききちんと現実を変えていける社会を作るべきではないでしょうか。それこそがvisionの体現であり、本当のレガシーになるのではないかと思います。

私はいかなる性差別にも反対します。そして、理事会での森会長の処遇の検討を求めます。

爲末大

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