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私のパフォーマンス理論 vol.16 -集団について-
2019年04月21日

私はチーム競技を行ったことがないのでどのようなものかわかっていないが、個人競技でも一応、陸上部などの集団には所属する。個人競技といえどこの集団の影響は大きく、どこを選ぶかで個人のパフォーマンスも変わってくる。人間は日頃一緒にいる人の影響を免れないからだ。

当たり前だけれども、いい集団とはなにかは、目的によって変わる。平穏な幸せを求める場合と、成長したい場合にとって良い集団はそれぞれ違う。また立場によっても違いがあるだろう。今回は個人が頂点を目指し競技力を向上させる一点に絞った場合、どのような集団を選ぶべきか、また集団の中でどう振舞うべきなのかについて書いていきたい。私も今は会社を経営しているので、このような社員がいると少し利己的すぎるかなと感じると思うが、あくまで競技者の世界だと思っていただけるとありがたい。

さて、どのような集団を選べばいいかというのは基本的には自分がこうなりたいと思う人がいる集団を選べばいい。人は一緒にいる人に影響され、次第に似てくるからだ。私が若いころ影響を受けたのは、高野進さんと、朝原さんで、世界の決勝を知っている人と、世界に拠点を置いている二人だった。そういう人が何気なく会話している内容からでもたくさんの刺激を受けた。一方で、相手もこちらを選ぶので、選ばれなければ集団には入れず一緒にすらいさせてもらえない。集団に自分を変えてもらおうと思っている人間は受動的で集団の質を落とすので集団としては欲しくない。一方で自分が集団に貢献できる人間は集団の質を上げるので欲しい。結局自ら自分を変えようと思っている人間ほど、良い集団に属することができる。競技者の場合競技力が必須ではあるが。

競技者にとって集団選びで何より気にしなければならないのは視座の高低だ。どれだけいい人で、どれだけ人格者でも、視座が低ければ頂点には行けない。むしろ視座が低い人格者は、低成長状態でも人を安心させて居場所を作ってしまうので厄介だ。

視座の高さの影響を説明してみる。面白いことに世界一を目指す集団と日本一を目指す集団では、結果は大きく違っても、少なくとも主観的な努力度(辛さ)は双方さほど変わらないことがある。視座の高さが違えば戦略から戦術まで、戦場選びですら違い、それによって結果が変わる。例えば日本一になるという前提であれば私は400Hでなくても400Mという手もあったかもしれないが、世界一を目指すなら競技人口が少なく技術要素が高い400Hを選ばざるを得なかった。そもそも戦場が視座の高さによって変わってくる。視座が低い集団は、ああだこうだ選択肢を議論できるが、それは低い目標に至る道はたくさんあるからに過ぎない。一番上に行こうとすれば選択肢はほとんどない。

特に日本のスポーツ集団は西洋諸国と比べても同質性が高い。このような同質性の高い集団は、一体感を好むので、中の人間は居心地も良く仲間との結びつきも強くなるが、同時に馴れ合いも生じやすい。馴れ合えば仲間意識を感じることの方が結果を出すことより優先され始める。視座が低い集団では、平均値に引き寄せようという力が嫉妬による足の引っ張りあいや冷笑主義、集団内政治、好き嫌いによる判断、形式主義の形で現れ、自分が悪影響を受けるようになる。同質性は容易には変わらないから、属する集団の視座の高さ、目標の高さは重要だ。

視座が高い集団は当たり前のレベルが高い。目標が勇ましかったり、ビジョンが美しいとつい人は惹かれてしまうが、目標の高さよりもむしろ言葉にもされていない当たり前のレベルの方がよほど競技力に影響していたと感じている。例えば足腰ではなく大腿四頭筋、ハムストリングス、中臀筋など分けて会話するのが当たり前の集団では、これらの役割を分けて説明しなければ会話についていけない。結果これらの筋の動きや役割を理解していく。また世界一になるのが前提の集団では、いちいち国単位の話が出ないので気がつけばこれにも馴染んでくる。このように視座が高い集団では何気ない日常や普通はこんなもんだよねという基準のレベルが高い。この力は逆にも働くので恐ろしい。

集団は大体共有された口癖を持っているので、それを観察すれば当たり前のレベルが少しは見える。強い集団は結果だけを見据えているために物事をシンプルにして本質を掴もうとしているので、その気になれば小学生でもわかる言語に変えられる。結果を出すには努力を絞る必要がありロジックはシンプルではなければらないからだ。だから口癖が本質的で、質問も端的であることが多い。反対に強くないチームは、ふわっとした言語が多く、定義が難しい言葉をよく使っている。わかりやすく言えば流行り言葉が多い。弱いチームは総じて”ごっこ”の空気が漂う。ごっことはそのように見せてあるだけで、そうではない状態のことを指す。

集団が伸びる瞬間は、不思議と1番手ではなく、中堅ぐらいの選手が一気に伸びてムードを作り、みんなが伸びる。面白いのはスター選手が伸びても大した影響がないことだ。人間は、無意識のうちに自分をカテゴリーの中に入れている。特にスポーツは日々相手と対戦するので、自分の位置をいやが応にも認識させられる。そうして、スター選手はいつの間にか”あいつは違うから”という言葉で違うカテゴリーに入るようになる。違うカテゴリーの選手が活躍しても、人はさほど悔しくないし追いかけようとも思わない。ところが昨日まで自分と同じだった存在が活躍するとそうはならない。悔しさも大きいし、自分と昔は同じだったのに自分は何をやっているんだという気持ちと、あいつにやれるなら自分にもやれるんじゃないかという希望が生まれてくる。そしてそのうち幾人かが、本当に目標を達成し、チーム全体が伸びていく。要はリアリティのあるサクセスストーリーが生まれると、集団が活性化する。

もし自分が属する集団が視座が低く、かつ自分はその集団から離れられないとしたらどうしたらいいか。私のアドバイスは、付き合いはほどほどに、自分は違う人生を生きるんだと日々言い聞かせながらしのぐことを進める。理想を言えば、チームを変え、チームメイトの意識を変えみんなで活躍することだと思う。チーム競技であれば勝つためにこれが必要になるし、自分がリーダーをやっていれば間違いなくそうすると思う。一方で個人競技の場合、チームの助けはいらない。さらに時間がない。例えば私の代表時代は2000-2008の8年間しかない。たった8年間で、どこまでいけるかが競技者としての人生の成否を分ける。ドライに聞こえるかもしれないが、特にある年齢を超えたら視座が低い人間を変えるのに相当な労力が必要なので、距離を置くべきだ。そして視座が高い集団を見つけ、チャンスを探しそこになんとかして食い込むべきだ。

私はなんとなく停滞すると所属する集団を変えていたが、今考えるとそれは比較対象ができてすごく良かった。世界一の選手がチームにいたが、練習時間も曖昧で、食事も適当だったが、この瞬間という時に出る集中力と力が全然違った。それ以来いつも緊張感があるチームが逆に形式主義的に見えて本物に見えなくなった。いずれにせよなんでもいいので一度は質の高い本物の集団を見ておくことを勧める。それがないとすごくない集団をすごいと思ってしまったり、どこにも必ず弱点があるがその弱点に不満を言う人間になってしまう。どの集団に行っても愚痴ばかり言う人間は、集団に期待をしすぎている。先のロジックで、集団に自分を変えてもらいたいと思っている人間を、質の高い集団は求めていない。

最後になるが、集団は危険でもある。特に群れは居心地がよく、人間を安心させるが一方で馴れ合いも生み出す。私は弱い人間だったので、集団にいるとつい安心して変化できなくなってしまうところがあったので、集団に属しながらも完全に集団と一体になりきらないように注意をしていた。群れは魅力的だが、群れは人を弱くする。寂しい人間だと言われたこともあるが、私のような性格にはこのような基本姿勢は競技力向上には一定の効果があったと思っている。

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