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信用の時代
2018年04月25日

信用の時代だと言われて久しいが、最近それを実感することが増えた。

例えば、facebookでこういった会社や人と仕事をするのだけれどどう思うかというメッセージがよくくる。またこちらもよくする。このような人を採用しようとしているのだけれど過去にやり取りをされていたことがあるみたいだけどどんな人でしたか?どんな性質がありますか?という質問もある。おそらく私もそのようにチェックされていることも多いと思う。

例えば悪い人が、自分の悪い評判を立てていてそれに影響を受ける、ということが考えられる。短期的には迷惑を被る人もいるかもしれない。ただ、長期で見ると、あの人はこういった私怨があって悪く言っているのだという情報や、また自分自体がいろんなプロセスの中で信用を勝ち得ていって、評判がひっくり返るなど、結局それなりのところに着地することが多くなるのではないかと想像している。多面的に様々な情報をもとに人の評価が決まっていくので、捨てる神あれば拾う神ありということになるんじゃないか。

人を評価する側も評価される。誰のことも悪く言わず褒める人がいるとして、その人と付き合うのは楽しくて幸せだとしても人物評をするのは向いていないということを皆が学習し始める。どのワインも一様に美味しいというソムリエがいたら、何を頼んでいいのかわからない。正確に良いこと悪いことを話してくれ、かつ自分の主観と客観的な事実を完全には分けられなくても分けようと努力している人のところに、人物評を聞く人が増えるだろう。昔、中曽根元首相が、政治に距離ができたときに足繁くある方のところに通い政界の人物評を聞いたと書かれていたが、そのような目利きや人物評ができる人間ソムリエが重要視されはじめるのかもしれない。

昔に比べsnsが発展したこと、そして人が多少なりとも流れるようになったことが大きいように思う。簡単にあの人はどんな人かというチェックができるシステムがあり、そして内部の情報を持った人が簡単に外部に行く。評判を外で話すし、話しているその人もまた信用できる人かどうか評価される。この二つの変化により、人がチェックし合うことが頻繁に起きているのではないか。

大きな会社にいたことがないので想像でしかないが、会社もある一定以上のポジションでは、変に縛るよりも責任と権限を渡してそのことを内外に明らかにすれば、あまり管理がいらなくなっているのではないか。失敗はまだしも変なことをすればその評判が一生ついて回るので、社内の管理よりも世間の評判のプレシャーの方が強くなり、自制するのではないかと思う。つまり会社に言われたから頑張る人は置いておいて、社員は会社から試合の出場権を与えてもらう感覚で、あとは試合で結果を出してそれを内外に知らしめ自分の評判を高めるために頑張る、という方向に向かうのではないだろうか。

やりにくくなっている人はどんな人か。全部オープンになる前提の時の人間の振る舞いと、いろいろ隠せる前提の人間の振る舞いは違うから、ネットがある前の時代の評判に苦しめられる人も増えてくるのかもしれない。昔バカにしていた若者に落とされるおじさんと言うのも増えてくるのだろうと思う。情報を隠してコントロールするやり方も嫌われそうだ。また値段を吹っかけるような癖がある人もいるが、それも嫌われるだろう。ともかく情報がシェアされて困る人は皆苦しくなり、情報が出回ることで引っ張り上げられる人は有利になる。

一言で言えば、自分自身が常に評価されているということなのだろうと思う。私はいい時代が来そうだと好ましく思っている。

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