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私の辞め哲学
2018年04月10日

前回のブログで、そもそも不満がないときはどうやって辞めたらいいのか、という返答があった。確かにそうだ、不満がなければなぜ辞める必要があるのか。おっしゃるように多くの人は辞める必要はないが、ただ、私はたぶん不満がなくなったら辞める。それには私の感じ方がたぶんに影響しているように思えるので、書いてみる。

私は自分の人生に対してこんなはずはないという感覚がいつもある。簡単にいうと、人生に現実感がない。広島のベッドタウンで生まれて、幼稚園の運動会でなんとなく自分の足が速いかもと気づいてから、転がるようにして、なんの因果かこの人生を生きてきた。きっと普通の人よりも恵まれていることが多いのだろう。時々だけれど今でも知らない人に声をかけられることがある。けれどもこの人生を自分で手に入れたのだ、なるべくしてなったのだ、という感覚がほとんどない。むしろ、ものすごい偶然の上で成り立っている人生で、何かの拍子にパリンと壊れてしまうように感じられている。

講演などで真ん中を歩く時に居心地が悪くてうまく歩けない。パーティーなどで中心にいるとそわそわする。話すのは好きだから話せと言われれば話すが、できれば隅っこからぼそぼそと話して少しの笑いとちょっとじわっとくる話をしたいと思っている。

謙虚なんですよと暗に言いたいのではない。本当は人前でちやほやされたいと思っているし、そもそもいつか東京で有名になるんだと頑張って走ってきた。ところが競技で成績が出るようになり、多少なりとも人に認識されるようになってきて、中心に居られるチャンスをもらってもうまくできなかった。一番苦手なのがCM撮影だ。自分はこんなところに出られるような人間じゃないという感覚が邪魔してうまく演技ができない。本当はそうじゃない人間が、そのように振舞っているようで、みんなを騙しているような気分になる。最近は、こんな自分ですいませね、という気持ちで出るようになってから幾分マシになったが。

競技人生は浮き沈みが激しかった。中学生で全国チャンピオンになり、高校で1、2年と怪我で棒に振り、高校三年でチャンピオンになり、大学1、2、3とスランプに入り、23歳でメダルを取り、その後停滞し、27歳でもう一度メダルを取り、その後は活躍できず引退している。

ずっとそうだった。才能はそれなりにあったし、努力もして居たと思うので勝つところまでは行くのだけれど頂点に居続けられない。チャンピオンになりたいと思って頑張るのだけれど、チャンピオンであることに慣れることができなかった。かといって負け続ければてめえこのやろうという気分になって俄然力が入り、人を押しのけてでも登る気になる。競技人生の浮き沈みは、偶然のようでいて、自分の性格が多分に影響していたと思う。

勝ち負けを繰り返すと、人の波が寄せたり引いたりする。最初はそれで一喜一憂する。うれしい、悲しい、うれしい、悲しい。でも次第に、嬉しい時には悲しくなり、悲しい時にはうれしくなるということが起き始める。目の前で起きていることに現実感が持てなくなる。次第に執着心が薄れていき、違うところを歩いている感覚になる。安定しようとすること自体がもっとも自分の心を不安定にすると考え始め、次第に不満がなくなると不安を感じるようになる。

長くなったけれど、つまり何か安定してうまくいき始めると、変えたり辞めたくなってしまうという癖がこびりついてしまっている。私のような人間は勝つと満足してすぐ怠ける。だから、ずっと懲らしめておかないといけない。地面がグラグラしている間は少なくとも頑張るし、何よりそういう時の方がまだ現実感がある。

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