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コンプレックスと多様性
2018年04月03日

つい先日、支援している会社の学生のインターンの方と飲む機会がありました。学生と飲むのは違う観点を持っていて話しても楽しい上に、説教しても許される感じがするので、だいたい誘われたら行くようにしています。その日も、三杯目くらいから、いつもの癖で質問責めにしていました。しばらくして最近一番不思議だったこと、興味を持っていることはなんですかという質問をしてみたら、その学生がとても面白いことを言いました。

「ダイバーシティってあるじゃないですか。一方で、コンプレックスってありますよね。考えてみたら実は似たことを指している気がするんですよね」

少し補足します。
1、昨今で言うダイバーシティとは違いを認め、個性を生かそうという取り組み
2、一方でコンプレックスとは他者と比べてなんからの違いがあるもの、または欲しいのに手に入っていないものを、自分の中で負い目に感じること
3、同じ他人との違いが、ある時は個性と呼ばれ、ある時はコンプレックスに変わっているが、元々は似たものと言えるのではないか
こんな感じだったのだろうと思います。興味深いことを言う学生です。考えさせられました。

多様性を認め、個性を認め、それを活かしていくことは素晴らしいことで、それを制度上に落とすことは大事です。それすら実現できていないのが社会の現状なので、まずは急いでそれを実現せねばなりません。一方で、それが実現しても本人の心の問題は残ります。こちらの方が難しい。その人本人のコンプレックスを外部から無理やり解決することはできません。なぜならばあくまでその人自身が、自分が持っている特徴をネガティブに捉えているからです。もちろん社会がその人の特徴をネガティブに感じさせるように仕向けてきたからなのですが、例えそうだったとしても解決は自分で行わなければなりません。それは人生の長い間に培ってきた、または社会から受け取ってきた価値観とは何かを問うことでもあります。大変な作業ではありますが、自分自身を外から見るには必要な作業です。

馬に憧れている猿がいます。猿はいつも馬のように駆け抜けたいと思うわけですが、とてもそれが叶いません。一生懸命努力し、なんとか前より速く走れるようになりますが、到底馬にはかないません。猿は馬を羨ましく思います。そして自らを恥じます。そして次第に、走る機会からなるべく距離を置き、少しでもその話題が出ないように敏感になります。馬に、速く走ることに憧れていればいるほど、傷つく度合いも大きくなります。猿は自分が木に登れることを誇ることができません。できることよりもできないことから目が離せなくなっています。

人は当たり前のようにできることよりも、努力して克服したことの方を誇る癖があります。しかしながら他者に対して本当に違いがでるのは、当たり前のようにしてしまうことのほうです。
私はどうもその辺りに“許し”という感覚があるのではないかと思っているのですが、確信を持てていません。いずれにしても誰もが自分を好きになれるような社会になって欲しいと考えています。

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