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守りと面白さ
2018年01月19日

最近感じることは、世の中が興味を持つ話題が重要性よりも面白さで選ばれているということだ。ニュースがよりエンターテイメント的になっている中で、どのように私たちは身を守ればいいのか。

おそらく意識するべきなのは、攻めは面白く、守りはつまらなく、だと思う。つまり興味を引けば良いにしろ悪いにしろ世の中が反応し広がる。私のいくつかの炎上体験と小学生の頃のいじめを見ていた体験から言えば、反応するものを人は面白がり、つまらないものに興味を持ち続けられるほど人は忍耐力がない。

人は何を面白いかというと、以下の点があげられるように思う。

1、意外か
2、対立はあるか
3、生々しい欲はあるか
4、全体が見えていないか
5、鬱憤を晴らすか

意外なものを人は面白がる。意外性は文脈がなければ存在しない。つまり普通はこうだよなということが共有されていてそれからずれる場合に意外性が生まれる。人格も背景もない人間に意外性はない。昨年日本のテレビのコメディで起きた人種のことも海外で共有されている文脈がわからないと、なぜ反応されているかがわからない。

また喧嘩もエンターテイメントとして歴史が長い。対立は面白い。時々、ちゃんと言えば伝わると思って頑張る人がいるが、その構図自体が面白さを増して外野が集まり収集がつかなくなることがある。人は分かり合えないという前提で説明をやめたほうがいい場合もある。

人間は生々しい欲を見るのが好きだ。金、名誉、権力、性あたりは面白い。つまり人間が見えると人は面白がる。反対に、人間らしさが見えない仕組みの話は、つまらない。ドラマは攻めの際にも効くが守りにも効いてくる。

全体が見えるまでは人の興味が続く。一体この奥にどんなドラマが潜んでいるのかということは人の興味を掻き立てる。情報が出尽くしていないと感じると人の興味が続いていく。

また純粋に自分の鬱憤を晴らすものを人は好む。特に苛立ちが大きい空気の時は、何かしらで鬱憤を晴らしたい。時々、世の中に鬱憤が溜まっている空気というものがあり、その時に1から4の話題でハマったものは恐ろしく大きく取り上げられる。もはやその対象に苛立っているのか、苛立ちをその対象にぶつけているのかすらわからなくなるほどに。

文脈がなければ意外性や面白さもないので、日常自分や自分の組織がどんな文脈を生きているかをよくよく理解することが重要だろうと思う。つまらないものなんて人はすぐ興味を失う。

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