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面倒見のいいコーチ
2017年08月03日

我々が学生の頃、面倒見のいい先生がいて、大学を紹介してくれたり、就職先を紹介してくれたりした。あそこにいくと、ちゃんと就職まで面倒見てくれるからという話は、大学選びの際に結構話されていた。ただ紹介してくれるだけだったらよくある話だが、スポーツの場合、会社の人事部にうまく差し込んで、普通のプロセスとは違うルートで入ったりする。ある意味下駄を履かせることになる。

大学を卒業し就職する時、面倒見のいい会社の条件は、引退してもちゃんと社員として雇用してくれるということを意味していた。選手だって怪我をしたり何が起きるかわからない。だから、仮にそうなったとしても会社が面倒を見てくれることが大事で、面倒見がいい会社はそれをやってくれる。そんな話だった。

面倒見のいい会社も、面倒見のいい先生も、いい人たちばっかりだった。何かあれば守ってくれるし、困ったら助けてくれる。とにかくその仲間内に入ると面倒を見てくれた。本当に我々が大学生の頃まではそれが一番幸せとも思えた。

あれから20年間、業績が不振で陸上部を廃止した企業がいくつもある。いくら会社が面倒を見てくれるといっても、会社自体がなくなってしまえば面倒を見ることはできなくなるし、会社も会社自体が存続できるかどうかという時には、なりふり構わない。生涯面倒を見てくれるためには、所属しているところが永遠に続かなければならないが、当たり前だけれどそこまでは相手も保証してくれない。

面倒見のいい学校の先生も最近はやりにくくなったといっていた。問題はガバナンスらしい。要は面倒見がいいということは、裏を返せば人事に私的な理由を混ぜるいうことで、昔ほどそれはおおっぴらにできなくなったらしい。考えてみれば、組織や公共の利益より、自分とはいかないまでも身内の利益を優先する人がたくさんいる組織は、社会に貢献することを優先する人がたくさんいる組織よりは、弱くなる可能性が高い。

結局のところ、働く環境が改善されていけば、必然に風通しがよくなり実力主義に近くなる。女性だからとか、非正規だからとか、不当に低く評価されていた人たちをちゃんと評価しましょうというのが公平にするということであり、風通しがよく公平になれば、面倒は見づらくなる。自分の力で頑張ってもらうしかないし、何かできるならそれは公平ではないことになる。

いきなり世の中が変わっていくとは思わないが、それでも徐々に変化していくのだろうと私は思っている。誰も嘘をついているわけではなく、ただ現実に生涯面倒を見れる人なんていない。少なくとも自分がいつ死ぬかなんてコントロールできないし、組織も同じだと思う。そのぐらいのつもりで付き合うよという気持ちの表れだと思う。それはうれしいが、受け取る側が本気になるとことは厄介だ。

大したアドバイスもくれず、自分でやればと突き放してきたあの人の優しさがわかるようになってきた。何も言わず、さりげなく自助論を渡してきた人もいた。本当の優しさとは何か、本当に自分にとっていいこととは何かが、歳をとると変化してくる。

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