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待つこと
2017年08月01日

最近面白いことがありました。

キックボードを息子に買ったのですが、急にキックボード自体ではなく前輪のタイヤの上に乗るといって聞かなくなりました。そのキックボードは前輪のタイヤがむき出しになっているもので、当然タイヤの上に乗れば走り出すとすぐにタイヤと一緒に乗ってる自分も回転して前方に落ちてしまいます。

まためんどくさいことをと思って、一瞬やめさせようと思いましたが、少し時間もあったことですし、そのままやらせてみました。結果は当たり前ですが、何度乗っても動き出すと共に自分が前方に落ちてしまいちっとも前に進みませんでした。数回繰り返した後、息子は何事もなかったようにキックボードに乗り直しました。

その日の午後、運営している施設でまるいクッションを転がして遊んでいました。ふと見ると息子がクッションから距離をとって押しているので、なんでもっと近くで押さないのと聞いたら、”だってクッションにくっつくと前に転がっちゃうからね”と言うわけです。どうも息子は何か丸いものが回転する時にはそれにくっついているものは一緒に回ってしまう、という法則を学習したようでした。

学習というと、つい知識を教えるということを想像してしまいますが、強い学びは自らなにかを発見した時に起きます。自分からこれをやったらどうなるんだろうという仮説を持ち、かつそれを実際にやってみて結果まで見届けた学びは、深さと広がりが違います。キックボードのタイヤに乗ってはならないという禁止事項だけ覚えたのでは、構造がわかりません。一体何が起きてどう危ないのかがいつまでたってもわからないわけです。

子供の頃、父親に絶対に運転中にサイドブレーキは引いちゃいけないと言われていましたが、どうしても気になって引いてしまい、こっぴどく叱られたのを思い出しました。でもあの瞬間サイドブレーキが何かに擦れて摩擦が起きている感触は今でも覚えています。サイドブレーキは摩擦をかけて車を止めているんだという理解が私の中で生まれました。

難しいのは、こういった学びには常に危険とそれからもどかしさが伴うことです。子供が自分からやるので危ないことも多いので常に守っていなければいけませんが、だからといって口出しをしてはせっかくの”自分がやって自分が発見する”という学びを奪ってしまいかねません。要は時間がかかるのです。自分がわかっていることを、我慢するのはもどかしいものです。

つい会社などをやっているといかに効率よく学習するかを考えてしまいますが、例え目の前に答えがあったとしても、それを本人が内的な納得をもって発見することが大切なのですから、その時が来るのを待つしかないんですね。また答えを私が知っているということ自体が思い上がりかもしれませんし。人が学ぶプロセスを伴走するということは、結局根気よく待つしかないんだなと改めて思いました。与えすぎて奪わぬようにというのが最近身にしみます。

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