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ピダハン
2017年01月19日

3年ぐらい前かな、読んだ本です。

もう内容はずいぶん忘れてしまったのですが、とある言語学者がアマゾンの奥地に住むピダハンとい部族の言語を理解しようとするところから物語は始まります。なんとこの部族は右や左に対応する言語がありません。また、経験していないことも語りません。実際には精霊のことなどについて語るわけですが、それはあくまで経験したこととして語るわけです。数の概念もありませんし、神様もいません。

この本を読むと、言語と文化が切り離せないということを実感します。ピダハンには心配にあたる言語がありません。じゃあ心配した時はどうするんだと思われるかもしれませんが、当然疫病や、様々な危険と隣り合わせなわけなので、危なくないわけではないのですが、考えてもしょうがないことを考えないという点で、心配がないのだそうです。心配があるから心配という単語が必要とされたという見方もありますが、心配という単語があるから心配しているという見方もあるのだと思います。

ピダハンはかなり原始的な生活をしていて、そして幸せそうです。一見すると文明は人を不幸せにしたのではないかというわかりやすい話かと思いますが、そうではありません。人間は考えたことを言語にしているように見えて、実は言語によって考えを規定されているのではないかと、この本を読んでいると感じます。日本語だから、日本人らしく考えているのかもしれないということです。

さて、アマゾンのその他の部族もそうらしいのですが、ピダハンにも赤ちゃん言葉がありません。それは人は対等だからという価値観に根付いているそうです。一生懸命頭でイメージを浮かべあれこれと私たちは考えるわけですが、その時意識されていない身体や身体動作、また言語体系がいかに思考に影響を与えているかを時々は考えてみてもいいのかもしれません。

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