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遊びと人間
2017年01月07日
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実家にあったので久しぶりに引っ張り出して読んでみました。カイヨワの遊びと人間です。

私はホイジンガのホモルーデンスが好きなのですが、同じく遊びから社会を考えたカイヨワの本です。遊びとは何かというよりも、社会の中にいかに遊びの要素が認められるか、また遊ぶとはどういうことをかを考えさせられる本です。まずカイヨワは遊びを四つに分類します。

アランー競争(スポーツ、チェスなど)

アレアー運に委ねること(ギャンブル、トランプなど)

ミミクリー模倣(演劇、ごっこ遊び)

イリンクスー目眩(遊園地、飲酒など)

特にイリンクスを遊びとして持ってきたあたりがカイヨワのすごさなのだと思います。あと、この四つの遊びが、パイディア(自由になろうとする力、原初の形)とルドゥス(恣意的に強制に向かう)のどちらかによっていると書いてもいます。スポーツはアランでありルドゥスに寄っていると言えそうです。

面白いのはカイヨワ(ホイジンガもですが)によれば、遊びとはそれそのもので完結するものであり、何かの目的を持ってしまえばすぐに遊びは消滅してしまうと捉えているところです。彼は、賞金を目的としたプロスポーツは純粋な遊びではなく、遊びからの堕落だと捉えています。

私の個人的な経験からいうと、スポーツの原初は遊びに始まり、そのうちに上達の喜びを覚え、スポーツを通じて名誉や金銭を獲得しようとし、それらがある程度到達されると意味を問い始め、ある日これは遊びだったのだということに気づき、また遊びに還っていく。というプロセスだったと思います。遊びは一旦壊れてしまえばもはや遊べないというイメージを持ちましたが、現代社会はもっと遊びとそうではない世界を行ったり来たりしているような気がします。ポケモンGOなどはまさにそうですね。

フランス人のスポーツ観はカイヨワ的だなと思うことが多いですが、カイヨワもホイジンガも遊びの要素に”自由であり、誰の制約も受けないこと”と定義しています。もちろんルールなどには縛られるわけですが、誰かの命令に従ったり、やるべきことをやるというのは遊びではなく、遊びはいつも自由で自発的な行為であると言っているわけです。

こういった遊びの哲学が背景にあると日本のスポーツも幾分か和らいで、より多くの人がスポーツを楽しんでくれるのではないでしょうか。

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