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功利主義とソーシャルインクルージョン
2016年01月28日
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ホッブスの功利主義は、最大多数の最大幸福を実現することを唱えました。功利主義とは私の理解ではより多くの人の幸せを追求することが良い社会ですという意味だと私は認識しています。そういった点でこれまでの日本は最大多数の最大幸福はそれなりに実現してきた社会ではないかと思います。

一方で功利主義を追求すると限界もあります。ある哲学者の、すべての人の幸福が一人の少年の不幸によって成り立っていたとしたらそれはよいことかという問いかけがあり、これなどはとても考えさせられる問いではないかと思います。最大多数の中に入らない少数の人々が不便を強いられることの上に、最大多数の便利が成り立っているようなところがあります。100人中98人の歩いている人が便利に移動できるように突き詰められた交通システムは、車椅子の人にとってはとても移動が困難なシステムになっていることもあります。最大多数の便利は確保されましたが、それは少数の人の移動の自由を犠牲にすることで成り立っているわけです。

ソーシャルインクルージョンや、または一億総活躍や、ダイバーシティなどの言葉が意図するところは、つまり多数の人の幸福や便利を求めて設計されすぎた社会から、すべての人々の幸福や便利の最大化を図っていきませんかということではないでしょうか。学校の授業についていけなかった子供が、活字の教科書ではなく音声に切り替えたとたん成績が全く他の子と変わらないどころか良い成績を収めたという例があります。活字が読めるという多数の人に合わせたシステムの上では、はみ出してしまっている子供の能力をどう伸ばしていくのかということです。

私の大好きな話に、全盲の人と車椅子の人の二人が移動するというものがあります。サポートされる側とする側がはっきりしているのではなく、状況状況に応じて、できることでできない人の手伝いをするというのが自然ではないかと思います。人の役に立つ喜びを奪ってしまってはいけません。障害はいつも状況に依存します。人に依存しているわけではありません。

社会のために人があるのではなく、人のために社会があるのではないかということが、ダイバーシティや、一億総活躍やソーシャルインクルージョンの肝ではないかと考えます。

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