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考えてみると私たちが頭に...
記憶
2015年10月29日
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考えてみると私たちが頭に浮かべたものはすべて記憶と言えるのではないか。今聞いた誰かの話し声を頭に浮かべることも0.数秒記憶ができないと、想像することもできない。数十年前の記憶から、今この瞬間の記憶まで、幅はあるにせよ、記憶の世界で物事は考えられている。

記憶を考えてみると、その時にあるものをそのまま記憶しているわけでは無いというのがわかる。目の前のテーブルの上にコーヒーがあって、友達がその向こうに座っているというのを記憶するのではなくて、そのときの気分や話の内容から感じたことを人は記憶する。心象風景や気分を記憶している。

私は常々健全な精神を保つコツは、”あれはなんだったのか”をうまく編集することだと考えている。つまり過去に起きたことをどういう風に編集して要約して記憶させるかが、現状の自分の精神状態に大きく影響するということだ。例えば、私の最初の講演は支離滅裂で散々だったがそれを”準備が結果を決める”と捉えるのか”自分はしゃべることは向いていない”と捉えるのかで自分に対する評価がずいぶん変わり、また行動も変わる。

何かに思いつめやすい人は、この過去の記憶が固定されていて、故に現状の自分も固定されている印象がある。つまり過去に起きた出来事が揺るぎない事実として捉えてある。ある出来事を”自分がそう解釈した”ではなく、”そういう出来事が起きた”として捉えてある。その人の中では編集された記憶が事実として捉えられているから、編集し直すという意識すらわかない。思い詰める人は、捉え方を変えられない。というよりも本人の中では事実だけの世界を生きていて、捉え方という考えがそもそもない。

成長する人は記憶の編集がうまい。いわゆるテクニカルな学習と違い人生においての学びは、起きた出来事を抽象化し、捉え直すということで行われると思う。孔子の言葉などに近い。どのレベルまで抽象化するかが学びの質を決めると思っていて、例えば先日のラグビー日本代表の試合を見て”やっぱり練習量が大事だな”と捉える人と、”戦略もさることながらそれを実行する意思力が大事だな”と捉えるかで、明日からの行動に変化がでる。

私たちは事実を覚えているのではなくて、それを認知して編集されたことを記憶している。そのバイアスはなんなのか、本当は違う見方もあるんじゃ無いかと考えることで、随分と記憶は変わると思う。仏教でいうあるがままをみよとはこのバイアスすら外してしまえということだろうと思うけれど、これは難易度が高い。

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