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私は人生の前半で全くと言っていいほど...
無知と幸福
2015年10月24日
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私は人生の前半で全くと言っていいほど、走ること以外をしてきていないから、37歳の今になっても知らないことが多い。数年前にサインコサインとかそういえば昔みんなが言っていたなというのを思い出して、えらい大学の先生にあれってなんなんですかと聞いてみたり、蘇我入鹿てなんの人ですかとこれまた東大の先生に聞いてみたりとひどい有様である。

一方こういった人生は他人に迷惑をかけるということを除けば、とても幸せなことがある。それはいちいち知る喜びが待っているということだ。人生において、知る喜びというのは後半の方が大きくなるのではないかというのが私の考えで、人生の前半に全く開拓をしていない私には相当に未開の領域が広がっている。しかも、周囲の人たちに比べ好奇心が疲弊していないから30にもなって何でも知りたい子供のようになっている。

知らないという立場に立つと、何がいいかというより許される範囲が大きいということだ。私の場合陸上に関することやスポーツに関すること(実際にはそんなに詳しくないのだが)は、中途半端なことをいうとすぐ怒られてしまう。ところがこと社会の問題に関してはあいつは知らないだろうから始まるので、少々おかしな質問をしても許される。少し笑われたりもするが、それさえ無視すれば大体の人は親切に教えてくれる。

私の母は私が東京で見聞きしたことを知ったように話すと、へー、はーと言いながら毎回感心している。こういう人間は幸せだろうなと息子ながら思う。母はまだ知らないことがたくさんあって、それを知って驚けるという機会が残されている。

知らないということは人生の成功においては不利なことかもしれないが、一方知らないということは喜びが残されているということでもある。今言語学者が書いたピダパンという本を読んでいるが、それで改めて英語の文法がようやくわかったところがあった。こういうことがある毎日に私は喜びを覚える。

物知りになるのは素晴らしいが、一方許されるのであれば、人生の前半で好奇心を溜め込んで、後半に爆発させるのもなかなか幸福度は高い。

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