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NCAAの調べでは、全米で
トップアスリートになる確率と、才能と努力の比率
2015年10月03日
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NCAAの調べでは、全米でバスケットボールをやっている高校生のうち3.4%が大学でもバスケットをプレイし、更に大学生のうち1.2%がNBAでバスケットをプレイしている。だいたい高校生からプロに行くまでの確率は0.03%ということになるらしい。1万人中3人。

アメリカの高校では日本のような部活動システムがないので、日本の高校部活動はもっと厳しい確率になる。バスケットボールは高体連の発表では競技者数は9万人。中学は17万。ここ数十年で田臥くん含め数名がNBAにチャレンジまたは入団したが、確率的には数十万分の何人という話になるだろうか。もっとかもしれないが。

だいたいオリンピックに出場する選手が600名ほどいて、メダリストはそのうち20名ー50名(団体競技は複数名にメダルがもらえるため、メダル数とメダリスト数はずれる)だろうか。さてそのうち、ほんの3年前のロンドン五輪のメダリストを10人思い出すことはみなさんできるだろうか。一般の人が認識しているトップアスリートは、スポーツ界が定義するトップアスリートよりはるかに少なく、せいぜい現役選手では20-30名以内というところだろう。

ここまでが確率の話。私の認識では確率はかなり厳しいとして、実際にトップアスリートになれるかどうかを決めているのは努力と才能どの程度の割合なのという疑問が残る。私の知っている限りではこれらをしっかりと調べたものはないようだ。

私の場合、大学ぐらいから練習量というのはさほど個人間では違わなくなった。にも関わらず選手の間には歴然とした差があって、それを努力の差というのは実感とあまりにもずれる。また、スポーツをある程度やったことがある人間にはとんでもない才能と向き合ったことがあると思う。あれを努力でなんとかできるということは私には考え難い。参考までに室伏広治さんの30mダッシュはどのスプリンターよりも速い。

興味深いのは、勝った選手は努力の割合を高めに言い、負けた選手は努力の割合を低めにいう傾向がある。君が負けたのは努力不足だからだと勝者はいう傾向にあり、敗者はいや努力ではなくてもともとの才能の差だったという傾向にある。私は比較的勝者の認識バイアスは強いと思っている上に、勝者の情報しか世間にはでないことを考えると、世の中は努力を過剰に評価しすぎているという立場をとっている。

阪大の大竹先生の興味深い論文がある。これが私が努力主義に対して抑制的な立場をとる理由で、努力が全ての世界では理屈上、富の分配は怠け者への分配になる。私は運は想像以上に大きいと捉えているので、配分すべきだと考える。

努力はとても重要だと思う。努力の否定を私は全くしないけれど、ボルトを努力で生み出すことはほぼ不可能だと考えている。トップアスリートが数千人いる(国内の五輪代表を含めた五輪候補の数)という考えであれば、努力すればある程度トップアスリートになれると思う。一方でトップアスリートを数十人と定義すると、努力して当たり前の集団でさらに一握りの人間ということになるから、私は才能の比率がかなり高いだろうと思う。

同世代の敗れていったアスリートを努力不足だという一言で切り捨てることは私にはできないし、彼らの努力を知っているからそれは事実ではないと思う。

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