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勝利条件と結果検証
2015年09月28日
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私が常々思う日本の悪い癖に、勝利条件(今回の場合、成功の基準という意味も含む)が試合の前後ですり変わるということがある。例えば試合前は勝利が目標だとしておいて、試合後は成長が目標だったということや、戦争中に今回の作戦は敵部隊を殲滅するのが目標と言っておいて、こちらが壊滅的打撃を受けると相手には驚異を与えたから成功だったと言ったりすることだ。

勝利条件を前後ですり替えてしまうことの最大のメリットは失敗をなくすことにある。試合前の目標で試合後も評価してしまえば失敗と成功がはっきりとわかってしまうが、試合前の目標を達成したときはそれで評価し、試合前の目標を達成できなかったときは、違う成果が得られたとすり替えてしまえば、事実上失敗がなくなる。

また全てには意味があるという捉え方をする人は、ある意味では勝つにしろ負けるにしろいい経験をしたから成功にしてしまう。もちろん前向きに捉えることは重要で、負けたけれどもこういう点はよかったじゃないかと考えることは素晴らしい。ただ勝負が目的の世界であればそれは敗因分析が終わった後にやるもので、負けたのにいきなりいいところしか見ない組織ではただ慰め合ってるだけで、敗因がわからず終わる。敗因がわからなければまた敗れる可能性が高い。

どうもこの皇軍に敗戦無しという考えは昔からあったようで、失敗の本質という本ではこれらが引き起こした問題のことが書かれていた。

勝利条件が前後ですり変わることの問題は二つあると私は思う。一つは本気で目標を達成しようとはだんだん思わなくなること。もう一つは結局何を改善すればいいのかがはっきりしないまま終わること。

目標を例えば優勝と掲げていながら、もし負けても監督が俺たちは精一杯やって学びを得たんだということが毎回前面に出てくると、それを選手が学習するようになる。負けても逃げ道があることを知っている人間は、踏ん張り切らなくなる。更には目標に向けて具体的な策を練るということをしなくなる。むしろ目標は建前の可能性があって、一生懸命に頑張って前のめりに倒れた方が勝つことよりも褒められたりするので、そういう場合は選手はそれを学習し勝つことより”絶対に勝とうとしているように見える”ことを優先する。

目標設定が試合の前後で変われば、敗北したかどうかがはっきりしない。はっきりと負けてないわけだから、なぜ負けたのか、誰の責任か、どうすればそれを改善できるかということを、本気で詰めない。だからふわっとした反省に終わり、ふわっとした戦い方で次回も試合に出て、ふわっとチームが負けていく。

グットルーザーというものがある。確かに必死で戦い抜いた時、心の底から当初想定していた勝利とは違う何かを得て満足するということがある。しかしこれは最初から意図していたのでは手に入らない。あくまで勝つことを目標とした人だけがグットルーザーになれる。

失敗の本質では、なぜ作戦は失敗したのかの検証を本気でやると、誰の何が問題だったかまでがはっきりしてしまい、それが不和を起こすのでふわっと前向きに終わらせてしまっていたという。結果としてその文化が日本軍を追い込んでいくことになったのではないかとその本ではまとめてあった。

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