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失敗に原因を求めすぎる危険性
2015年09月01日
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失敗から学ぶということは大切なことで、その姿勢があるかどうかで随分と成長の度合いが違うと思う。良い選手は必ず失敗または敗北を分析し、何が問題だったかを探し出し、自分なりに解決方法を見つけている。それは大前提として、もう一方で負けたんだから必ず何か問題があったんだろうと考えすぎてドツボにはまることがある。

例えばスタートして一歩目から頭を上げてゴールを見ながら走っていた選手が、もっと地面をしっかり押したいと考え、8歩目あたりまで頭を下げてスタートダッシュをするやり方に変える。ある程度練習してきていざ本番になって走ってみたら以前よりもタイムが悪い。選手は慌てて元に戻す。

新しい技術というのは馴染むまでに時間がかかり、それまでの時間ではパフォーマンスが落ちることがある。その落ち込みが技術が根本的に合わないから起きているのか、それともただ馴染んでいないから起きているのかはわからないが、あまりに神経質になりすぎると、馴染む前に元に戻してしまうことになる。不振を無視できないと根本的な技術変更はできない。

また、人間には揺らぎがあって、いい時も悪い時もある。そしてその理由を考えても、今日はそんな日だったというぐらいの意味しかない時もある(という思い込みの可能性もあるが)。ところが真面目に失敗の原因を考えようとしている人は、必ず何か理由があるはずだというところからスタートしてしまい、何か問題を見つけずにはいられなくなる。思い込めば問題はいくらでも見つけられるので、本当の原因かどうかわからない問題にアプローチしてしまい、何かを変えて余計にスランプにはまってしまうことがある。

失敗から学ぶことは大切だろうと思う。けれどもその失敗は一時的なただの揺らぎなのか、根本的に何かがずれているのかをしっかりと見極めることがまず必要だろうと思う。ふてぶてしい選手が崩れにくいのは、失敗を無視するふてぶてしさを持っているからで、真面目な選手ほど学ぼうとしすぎて、誤学習を起こしてしまったりする。

雨が降れば傘をささなければならないが、にわか雨を豪雨だと勘違いして登り道を変える必要はない。

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