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目標との距離とパフォーマンス
2015年08月30日
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競技者は目標を設定し、それに向けて日々トレーニングをしている。それが例えば世界一になるという壮大なものもあれば、力を出し切るという抽象的なものも、この試合で3位に入るという具体的で身近なものまでいろいろあるけれど、いずれにせよなんらかのターゲットを見据えて競技をする。

目標達成を絶対化するとそれに向けてなんとしてでも達成してやろうという意識が生まれる一方で、それが弊害を招くことがある。例えば、インターハイ当日どう考えても決勝に残れるかどうかもわからない選手が、一年間一位になると目標を掲げて頑張ってきた時に、一位に固執しすぎると意識と体がずれてしまって力が出ないことがある。

人間には体感的に射程距離というものがあって、頑張れば届きそうだという距離とちょっと頑張っても無理だという距離がある。前者の場合では具体的にどうすれば届くのかということが考えられるけれど、後者の場合は具体的にどうしていいかわからないのでひたすら頑張るということしか浮かんでこない。初めて校内のマラソン大会を走る時、ほぼ必ず全員、力を途中で出し切ってしまうか、ゴールまで力を余してしまうかのどちらかになる。ゴールに向けてちょうど力を出し切るというのはかなり技術がいる。

無理だと感じる距離はただの思い込みであり、やってしまえば本当に届くということは確かにある。何しろ力を出し切った経験がある人は少なく、ほとんどの場合自分の本当の(本当が何かはさておいて)限界の手前を限界だと認識している。だから高レベル以外の世界では、目標を達成するんだと死ぬ気で思い込んでやりきれば目標を達成できたりする。

一方みんな頑張ってきたのは当たり前の世界になると、今度は適度な目標設定が必要になる。山登りで頂上が見えた途端、なんだかやれる気分になるのと一緒で、頑張ればいけそうだという感触とパフォーマンスを最大化することはつながっていて、頑張ればいけそうだと感じられる目標を定めることが反対に言えばパフォーマンスを最大化する。

本番までの目標と、いざ具体的に当日何を狙うかはずれても構わないと私は考えていた。メダルを取るために4年間やってきて、当日自分が一番頑張れそうな決勝進出に狙いを変えたこともある。これは妥協と言えるかもしれない。また目標を下げたせいで本当は取れたはずのメダルが取れなかったと言えるかもしれない。ただ私はその方が力が出やすかったと振り返ってみて思う。

人参は適切な距離に置かれた時最も効果を発揮する。大抵の人にとって、到底届かないところの巨大な人参は、目の前の小さな人参よりも魅力がないと私は考える。

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