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老害と希望を持つ力
2015年08月23日

老害を辞書で調べてみるとこんな感じのものが出てくる。

 

”自分が老いたのに気づかず(気をとめず)、まわりの若手の活躍を妨げて生ずる害悪。または高齢者たちが実権を握り、若年者たちが充分に活動できない状態を言う

 

いわゆるただ地位や既得権益にしがみつきたいだけの老害というものが多いのだろうけれど、そうではないパターンの老害があると私は考えている。本人はいたって前向きな場合の老害だ。

私が思うにある程度社会的に成功した人は、当然自分自身の能力にも自信を持っているが、それだけではなく自分の能力が向上する事や、ビジョンを描きそれを実行できる力があるとも強く信じている傾向にある。若い時には前向きな向上心や希望を持つ力と呼ばれたものである。

この能力があるのは素晴らしく、成功にはかなり影響すると思われる。さらにこの特性があるからこそ老いず、いつまでも若くいられるのだろうし、また人生を生き生きとさせているのだと思う。

ところがこの特性を持ち合わせたまま、周囲からその人の地位を動かせないような(または動かしにくい)地位につくと少し事が厄介になる。何しろその状況においては、自分が去った方がより良くなるはずだ、と本人が思わない限り地位にい続ける事になるからだ。そしてこの希望を持つ力を持った人は自分は衰えたなんて考えもしない特性を持っている。つまり

”私はいつまでも向上し続けられるし誰よりも価値を提供し続けられるし、実際にこれまでの人生でもそうしてきた。いつかは退く時がくるのはわかっているが、それは今ではないだろう。だからこの役割は当分は私が担い続けた方がいい”

という結論に達してしまいがちになる。

年齢が上であるという事は老害の条件ではないと思う。どんな年齢でも素晴らしい方はいるし、実際に経験による知恵は高まり続けるのだろうと思う。だから年齢だけを持って老害というのは間違えていて、どんな年齢の人であれより大きな価値を発揮できる人が役割を担うべきだと思う。ただ、若者の成長率は高齢の人間よりも往々にして早く、人は老いによって昔できていたことができなくなるというのも真実だろうと思う。そして若者は機会がなければ伸びるはずの能力も伸びない。

なかなかに難しい問題で、実際に思い込みの強い私が50年後あたり老害化している可能性も十分ある。そしてその時には私は”俺はまだまだやれる”と答えるのだろう。まだまだ実際にやれるのか、それとも衰え始めているのか。自分を客観視することは思い込める人にはいつまでも難しい。

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