JP | EN
ケンカ体験と過剰な自信
2015年08月02日

中学生の時だろうか、柔道をずっとやってきたという同級生と少し小競り合いになった時、あっという間に廊下に投げられたことがあった。当たった瞬間の彼の腰の硬さと抵抗する間もなく投げられた事しか覚えていなくて、兎にも角にも柔道家とケンカをするのは賢くないと悟った。

人生において体をもって体験した事は、自分の感覚のもっとも深いところに影響を与えている。9秒台で走るスプリンターの加速感や、柔道家の腰の硬さ、さらには本当にリーダーシップをもった人の統率していく感じを目の当たりにして、本物と自分の距離はどの程度あるのかを実感した。

例えば最近であればデザイナーのこのデザインがどうしようもないとか、建築物のここがだめだとか、国家もメディアもどの世界もどうしようもないと言っている人が増えているように見える。たまたま見る機会が多いだけかもしれないが。そういう人と話をしていて私が感じるのはケンカ体験の少なさだ。

皮肉な話だけれど、頂点から遠ければ遠いほど人間は自信を持てる。本当に頂点に近づくと実際に本物とガチンコでやりあう機会や、本物を目の当たりにする機会をもてるので、リアリティをもって本物を感じる事ができる。その瞬間の自分の情けなさったらない。本物は本当にすごいから本物で、けちょんけちょんにされる気分を味わう。

体験しないと何もわからないと言った所で実際にケンカできる所に行くまで相当に時間と労力がかかる。だからまず大事なのは真剣勝負をしてみて、自分の実力がどの程度なのかを知る所からだろうか。真剣勝負を一定期間しただけでも、随分世界は違って見えるように思う。

もちろんけちょんけちょん経験をして萎縮してしまうリスクもある。例えば僕はのほほんと世界で一番だなんて言いながら陸上を始めたけれど、9秒台の人間の凄まじさを体験していたらとても陸上なんて始めていなかったかもしれない。知らなかったからこそ勢いよく無謀に思える挑戦ができるという事はある。

ただ僕はどちらかというと一回は真剣勝負をしてコテンパンになる経験をすることが大事だと考える。ケンカ体験がない人は、実際の自分の実力が実感としてわからないまま生きていく事になる。だから妙に自信過剰であり、妙に不安そうに見える。自分の実力を知らないというのはしんどい話で、何しろ何が自分にできて、何ができなくて、何は向いていなくて、誰が本当にすごいのかが実感としてわからない。つまり世の中で生きていくときに誰についていって、自分はどうポジションをとったらいいかがわからなくなる。

自分の実力がわからないと、生き残る際には相当不利になる。ライオンに挑んだり、リスから逃げたりするからだ。

THINK MORE
MAIL MAGAZINE