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身の回りのことと、社会の問題と
2015年08月08日

社会には様々に問題があり、それらを解決しようと取り組まれている人たちがいて、私はとても尊敬をしている。印象としては震災後にそういう志を持った人たちが増えていて(もちろん元々いた方もたくさんいるのだろうけど)日本も捨てたもんじゃないなと思っている。

一方、政治的な問題も含め社会問題に取り組む事はある種の快感を生むことがある。特に自分とは違う主張をしている相手や、もしくは強大な敵に見えている政治家や権力者に対し、躊躇なく攻撃して悪を斬っている気分の時は相当に心地よい。この心地よさは麻薬的で、かつ仲間もいた場合は一体感もあるわけなので、インターネットを見ていると、政治的な話題は特にこの快感で埋め尽くされているように見える。

社会全体や国レベルの問題と違い、自分の身の回りの問題の方が実は厄介だ。金がない、なんだか漠然と満たされない、会社の上司がいやなやつだ、取引先がいじわる、友達の方がいい暮らしをしていて嫉妬心が消えない、恋人ができないのにもててるやつがいて腹が立つ。こういう問題は今日明日に解決することはできず、そもそも解決できるかどうかもわからず、それでも日々の地味な努力と取り組みが必要になる。考えるだけで面倒臭く嫌になるし、自分と向き合わないといけないので痛みも伴う。

この本当は全く違う動機の人間が同じ問題を同じ動機であるかのように語っているように見えて考え込む。かたや社会の問題を解決するために、かたや日々をやり過ごす鬱憤ばらしのために。

私は身の回りの事をちゃんとして余ったもので社会問題に関わろうと今はスタンスを決めている。私のような人間は、個の幸せを犠牲にして取り組めば、社会問題が解決される事より、快感を得ることを目的にしてしまい、結果社会問題の解決を妨げる。こういう人間はまず自分を幸せにしようと努力して、余ったものを申し訳程度に出すのがいい。

誤解のないように言っておくと、社会問題に関わること、また発言することは素晴らしいことだと思う。みんなが声をあげないと社会はよくならないだろうからデモも意見をまとめて伝えることも大事だと思う。ただいくら大きな問題解決がなされたところで、自分個人の問題は何も解決していないことに気づく。こちらの方は一発逆転はなくて、地味に取り組んでいくしかない。

社会には発言だけで参加するという方法がある。一方自分の人生においては行動以外の参加方法はない。行動を変えない人間の人生は変わらない。

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