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感情と観察
2015年06月22日

高校時代に人生で生まれて初めて自分が他人に抜かれていくという経験をした。それまでは人に負けていてけれども差が詰まっているという状況こそあったものの、自分が追いつかれそうになるというのはなかった。特にもう抜かれる寸前の時には、私は妙に誰が速いかという言葉に神経質になり、彼の主張一つ一つに反発した。一言で言えば余裕がなかった。

ある日の帰り道に、どうしてこんなに自分はいらいらしているのかを考えていたら、自分のおおらかさは他者に対して勝てる状況であったからこそ成り立っていたもので、自分の自信の源が揺らいでいるから不寛容になっているのだとはっと気づいた。

母親に言わせると私は相当に感受性が高く繊細だったそうだ。そういう人間がスポーツをやると一つ一つに落ち込み、また大きく高揚し、他者の評価を気にする。それからの人生で1日に30分は一人になる瞬間を持って、その時にあの時ああ言ってしまったのはなぜなのか、あの時ああ感じたのはなぜなのかを考えるようになった。

自分を知るという事は、自分は何に怒りがちで、かつどういう理由で怒るのかをわかるという事だと思う。当然、昔自分はこうだと思っていた事が覆される事はあったし、これからもあるだろうけれども、今の段階での自分を知っておく事は大切だろうと思う。知ったからと言ってそのくせが治るわけではないけれど、少なくとも知っていれば事前に準備する事ができる。

腹がたつ、許せない、バカだ、最高だ、すごい楽しい。大体最初の印象はこんなものだと思う。それを一つ一つ観察し分析する事で、腹がたつにも色々ある事がわかるし、更には本当に腹を立てている理由がわかったりする。ただその作業の最中に最も苦しいのは、実は全部自分が原因だったと気づく瞬間だ。これに耐えきれなくて掘り下げるのをやめてしまう事は多い。

自分の感情になぜかと問いかけた事のある人とない人では、積み重ねると自分への理解の深さが全く違ってくる。50歳になっても”むかつく”で終わってしまっている人もいるし、10代でも自分がむかついているとわかっている人もいる。

精神的に落ち込む人にしろ、常時怒っている人にしろ、自分をコントロールできない人の最大の特徴は”そうとしか考えられない”事だと思う。彼らはある意味で、自分の見ているものだけの世界で生きている。そういう風に見ているのは自分かもしれないという視点を持てないから、抜け出られない。

ああ、それがそうなのではなく自分がそう見ているのだと気づいた時、世の中は空であると気づくのだろうと般若心経は語っている。

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