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早熟型の世界
2015年05月28日

日吉克実くんの記事を読み、自分の競技人生を思い返していた。彼は桐生選手に中学時代勝っていた選手でもあり、私の200mの中学記録を破った選手だ。今は大学生になり、短距離で桐生くんの背中を追いかけている。

早熟型(ないしは若い時に成績を出し伸び悩んだ選手)の世界はあまり語られない。体験した人が少ないというのもあるが、おそらく実感を持って想像するのが難しいのもあるのではないかと思う。そもそも頂点に近づいたことがある人が少ない上に、若い時期に目立った人がその後どうなったかに興味がある人も少ない。

早熟型はある時期で頂点を体験しその後伸び悩む。その様子を見て、天狗になって練習を怠ったからだという人もいるし、成功体験から抜けられなくなったからだという人もいる。一時期でも頂点に立ったからいいじゃないか、普通の人はそんな体験すらできないんだから、という人もいる。全ては当てはまっているのかもしれない。けれども、それは早熟型の選手にとってはなんの助けにもならない。

私は早熟型だった。15歳の時の身長体重が、ほぼ今と変わらない。種目を400m、400Hに切り替えたから伸び続けている印象を与えているかもしれないが、実際には10年ほど100mの記録は止まっていた。

人生で最も悩んだのはあの時期だったと思う。なにしろ誰にもわかってもらえない。話しても、それはお前の努力不足だと言われることがほとんどで、周りを振り返ればあんなに周りにいたはずの大人がみんな去っている。去っているならまだしも、遠くからこちらを観察して、うちの選手はあんな風にならないようにしないとと噂をしている。それがこちらにはうっすらと聞こえてくる。絶対に諦めるものかという強い意志は、果たして功名心なのか復讐心なのかわからなくなる。ただとにかく絶対にこのままじゃ終わらないという執念だけが自分を支える。

その後、ハードルに転向しメダルを二度とった。今も少しメディアに出る仕事をしているが、全ての価値観はあの時に形成されたように思う。それは世の中の注目や賞賛がいかに脆く儚いものかということ。世間の評価に自分の居場所を見出した時、人は時代に迎合し崩れていくということ。いい時こそ冷め、悪い時こそ楽観視、人が褒めれば警戒し、人が貶せばそれを観察すること。全ての絶望は期待するから存在するということだ。

早熟型は頭で戦うしかない。不思議と身体が成長している人は、本当の意味で頭を使ってこないことが多い。拡大しつつある人の発想は大雑把だ。徹底的に自分を観察し、効率化し、自分なりの戦い方を考える。拡大だけではなく、無駄を省いて洗練させることによっても成長はできる。

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