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日本のコーチ
2018年05月15日

2020に向けて、日本のコーチのレベルは低く、海外は高いのでしょうという話をよくされるが、私の個人的な陸上の現場の感覚からすると、現場のコーチングにさほど差はないというか、日本のコーチのレベルが高いと感じることもある。組織運営に関わる戦略やガバナンスはアメリカの組織が優れていて、日本はその差を現場で補うという構図に見えていた。もちろん、かなり乱暴に分けていて、日本でもそうではない場合も、アメリカでそうではない場合もあるに違いないが、大まかな方向としてそうだという前提で話を進めたい。ちなみになんで日本とアメリカかというと私がその二つしか知らないというだけなので、他の国を見るとまた全然違うのかもしれない。

私が知っているアメリカでの例を出してみる。例えばある若者がアキレス腱が痛いと言い出す。アキレス腱が問題なのだろうと、医療従事者の元に連れて行き、これはMRIですねと言われ、MRIを撮りに連れて行き、結果として手術ですねとなってメスを入れる。必ずしもではないが、このようなプロセスが多い。つまりしっかりと分業ができていて、それぞれが専門的な知見を元に判断を下す。

一方で日本のコーチは動きを分析する。頭の中ではこのようなプロセスが踏まれる。

”選手はアキレス腱が痛いと言っているが、生活面や栄養の問題かもしれないが、まずは動作で考えてみよう。アキレス腱のねじれは着地時に股関節で体重を受け止めきれていないことが影響しているように思う。更に言えばどうも右肩が前よりも大きく動いているように見える。右肩が前後に動けば、それに応じて左腰もローテーションするので、右肩も影響しているように見える。腹圧を高め股関節で体重を受け止められるようにすることと、右肩の前後の動きを少し制限してみたらどうなるか”

このように考えて、突然、腕振りや腹筋を命じられることがある。的外れなこともあるが、はまると全く選手が傷つかないまま復活することがある。全体を小分けにすることを前提に分析が行われるアメリカに対し、あくまで対象の全体を見る、または周辺の環境すら含めて観察するのが日本と言える。象徴的なのが同じ怪我でも、すぐ切りたがるアメリカと、最後までなんとか切らずにいこうとする日本。風邪でもなんでもすぐ薬を飲もうとするアメリカに対し、とにかく漢方でもなんでも薬だけは避けたい日本の違いに見える。ちなみに私はドーピングを日本人がしないのは、倫理の問題よりも、ケミカルへの抵抗感からくるものではないかと考えている。

私がコーチングを受けたアメリカ人(正確にはウクライナからの移民なので違いがありそうだが)のコーチは右膝の角度は何度、肘はこう動くという風に、極めて分かりやすい説明だった。問題が起きても、膝の問題は膝、心理は心理と、各セクションがしっかりとわかれていて極めてわかりやすかった。一方で、それぞれの世界にエビデンスに基づいた答えは用意されているが、複雑に関係し合う全体を統合した世界になると急に浅く感じた。私は複雑なものは単純化できず複雑なまま理解するしかないと考えていたから、その点はあまり合意できなかった。

一方でデータに落とし、万人に使えるような基準を作ることは日本人は極めて苦手であると思う。物事を単純にすることを嫌うから、一言目には、そうともいいきれない、という言葉が出てきて、まとまれなくなるからだ。必然、コーチは職人的になり、伝達手法も暗黙知を伝えるようなものになり、一代限りで終わってしまうことも多い。複雑なものを複雑なまま置いておきたがるがあまり、明文化を嫌うところがあり、結果として皆で共有すべき基準やライセンスが作成されない。いずれにしても、双方にはかなり特徴があるが、陸上の現場においてはどちらかが圧倒的に優れているということはなかったように思う。

私は若い頃、海外に憧れて習いにいったが、大した違いはなかったなというのが私の印象だった。むしろどんなに追いかけても私はアメリカ人やジャマイカ人にはなれないと思い、持って生まれたオリジナリティを追求しきるべきだと考えるようになった。

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