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北風と太陽
2015年05月21日

私のホームページに時々、社会問題への参画を促すものがくる。確かにその社会問題は解決すべきだと感じるものがあるが、なんとなく成功するであろうと活動とそうでないものがあると私は予想している。違いは北風と太陽だ。だいたいざっくり分けて二つのメールが私には来る。

”為末さん、これは問題だからあなたは発言して解決に参画すべきだ”

”為末さん、これは問題だと私は思うからあなたももし共感したなら協力してほしい”

後者のメールには私は協力しようと思うが、前者のメールには協力しようと思わない。前者は正しいから動きなさいと私に要請していて、後者は協力してくれませんかと私に要請している。

もし深刻な問題で、かつ私にとても関係のあるものであればどんな誘い方であれ私は協力すると思う。ところが社会には問題がとても多く、全ては把握しきれない。人が本気でコミットしたいと思う問題は1つ2つぐらいで、その他の問題は誘われてなんとなく協力しようかなと思えばそうするぐらいの話だろう。

多くの問題は中心でそれを本気でやっている人の熱量ももちろん大事だけれど、応援者をどのぐらい集められるかも大事ではないだろうか。そしてその応援者は実は問題の深刻さや重要さややっている人の熱力だけではなく、それを伝える人の伝え方で変わると私は考える。

結局のところ、問題に対して動いてくれる人はお客様みたいなもので、その人にどう伝えれば動いてくれるだろうかと想像を働かせるのが大事なんだろうと思う。あなたは動くべきだと言われても、よほど社会圧力が強くなければ人はのらりくらりとかわして動かない。また動いたとしても思いがない。自分から動きたいな協力したいなと思ってもらうにはどうしたらいいか。正義よりも共感、北風よりも太陽だろうと思う。

僕は独善が苦手だ。メールひとつでも独善さがある人には独特の匂いが漂う。間違えてその人の地雷を踏んでしまったら怒りを買いそうな。だからそっとそういった独善の人からは距離を置く。独善の人は自らは正しいと信じきっている。私が感じる問題意識はすべての人が感じるべきだと考えている。その重苦しさから、少なくとも私は協力を躊躇する。

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