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10秒の壁の正体
2015年04月19日
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今日、長年の日本人の夢であった100m10秒の壁が破られるかもしれない。歴史的瞬間を目にしようと桐生選手が出場する広島の織田記念陸上に注目が集まっている。さて、ふと振り返ってみてどうして10秒が壁になったのだろうか。ここでは10秒が切られるかどうかではなく、10秒がどうしてこうも壁として注目されるようになったのかを紐解いていきたい。

どうして9秒82の壁でもなく、10秒14の壁でもなかったのだろうか。たぶん答えは簡単でそれの方がキリがいいからなのだろうと思うけれど、キリがいいとは一体どういうことか。私たちは生まれてこのかた十進法の世界で生きている。10の次に1が来る。私たちが生きている十進法の世界では10がキリがいい。

会社にしろ、スポーツにしろ私たちは目標設定をキリがいいところに置くことが多い。野球であれば球速100マイル、会社であれば売上100億、100mであれば10秒。ほぼ無意識に人はわかりやすいものを目標にする。目標にする人が多くなれば、登山家であればエベレストに登りたいというような万人のベンチマークとして、また共通の未踏の地として認識される。

目標を立てるのはいいことである。確かにそうだけれど、目標設定にも弊害があるという点はあまり語られていない。日本一を絶対目標にした人は世界に出ていけなくなるし、10秒を目標にした人は9秒92を考えづらくなる。目標は大体自分の限界値あたりに置くものだと私たちは考えている。本当はもっと遠くに自分の限界があった場合でも、目標を設定したことにより限界化するという事がスポーツの世界では起こりうる。

共通の目標は聖域化する。ここが日本人の夢の一線か。そう思った時にアスリートの心の底には、やってやるぞという思いと、もしやれなかったらという恐怖が混じる。最初のうちはそうでもなかったかもしれないけれど、挑んだ選手が10秒寸前で止まるたび、少しずつ重い空気が漂い始める。10秒05と同じただの数字であるはずの10秒00に意味が生まれていく。ランキングをみれば00を筆頭に01、02、03、と並んでいる。まるでそこに何かあるかのように見えてくる。

10秒の壁とは集団の思い込みのことである。集団の思い込みも時間が経てば本当の壁になる。ただの岩でも仏様に見えると大人数が拝み続ければ、いずれそこに荘厳な空気を感じる人が増えてくる。最初は何の意味もないただの数字であった10秒に、意味づけをし、目標として設定され、挑んだ先人の跡が残り、次第に聖域化され、本当の壁になっていく。

ロジャーバニスターという選手がいた。1マイル(1600m)4分を人類はきれないと言われた時代に、果敢に他の二人の若者と挑戦し、それを達成した。ところがその後1年の間に23人のアスリートが4分を切ったと言われている。壁が敗れた途端それはもはや壁ではない。野茂英雄さんが行く前と後のメジャーリーガーの数は雲泥の差がある。それはメジャーリーグで日本人も通用するという事実を見て、それが当たり前化したからだろうと私は考える。

9秒台に王手がかかっている。もし達成された場合、その事が意味するところは、その他の日本人も含んだ限界の引き上げではないだろうか。野茂英雄さんの活躍に陸上界の私が刺激されたように、私の経験上、9秒台のインパクトは陸上界にとどまらないだろうと思う。

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