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直感は正しいのか
2015年05月07日

直感は正しいのか、間違えているのか。人間はさほど完璧ではないというのが行動経済学の原点らしいのだけれど、一方でroboticsの世界の話を聞いていると達人の直感を再現するのが如何に難しいかと語られる。

カクテルパーティー効果というものがある。パーティーの最中目の前の人と会話をしている時、周辺の会話は聞こえてこない。ところが、後ろの人間が自分の名前をだし噂話を始めた途端、後ろの会話が聞こえてくる。ここで浮かび上がる問いは、では会話は聞こえていたのか聞こえていなかったのか。聞こえていなかったのなら、なぜ自分の名前は聞こえたのか。聞こえていたのならなぜそれまで頭に入ってこなかったのか。意識的に聞こえているという領域はあまりにも狭い。

脳梁を切った患者に対し、右視野(左脳)と左視野(右脳)に言葉を見せて、対象となるカードを引かせる実験がある。言語をつかさどる左脳が反応するために、右視野にシャベルと出せばシャベルが書かれたカードをとる。ところが左視野にシャベルと出しても患者はそれがシャベルという言葉だとわからない。中には言葉自体が見えないという患者もいる。ところが当てずっぽうでいいからカードを取ってくれと言われたら、えいやと確か7割程度の人がシャベルが書かれたカードをとる。

意識的に聞こえている見えているということと、意識されないけれども見えていて聞こえているということ。見えた、聞こえたと意識するものだけが本当に見えているものだろうか。もし、これまでの人生で意識されないけれども経験してきた、無意識の経験が積み重なったとして、その無意識の経験からくる経験則的な答えを私たちはどう認識するのだろうか。私たちは私たちが経験してきたことの一部しか知覚していないが、無意識の領域も含めれば膨大な経験を蓄積している。

私が私と認識している領域よりも私の範囲はもっと深遠な広がりを持っている。その私も知らない深遠な私の領域から出てくる経験則的な答えを直感と呼ぶのだと私は考える。競技をやっていて、まず先に体が実現してしまうという事がある。私はおしゃべりだから、あとでなんだかんだとそのできてしまった事に理由をつけて、最もらしく説明する。ある専門性が習熟されきった世界では論理は直感をそれっぽく伝えるために存在するのではないか。

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