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自分で考えるということ
2015年03月17日
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自分で考えなさいと、気軽に私たちはトレーニングの現場でいうけれど、実際に自分で考えるというのはどういうことだろうか。あることに自分の意見を持つことのような気もするけれど、あいつは考えていないと評される人も意見を持っている。

自分で考えている選手かどうかを見分けるために、僕はなぜなぜを2、3度聞く。説明できないことを答えとして持っている選手はおそらく考えていない。考えるということは正解を知っているということではなくて、正解にたどり着くプロセス、もっと言えば何を問いとして設定したかによると思う。答えは正しくなくても構わない。というよりもスポーツの現場に正解なんてない。あるのは効くかどうかだけだから、今の段階の正しいやり方を知っている人よりは、何が正しいやり方かを考え続ける人の方が生き残る確率が高い。

自分で考えるということは当事者感覚とも近いと思う。自分で考えていないと言われる人の特徴はフリーズにあると思う。想定外の何かに出会った時、意外な質問をされた時、意見を求められた時、フリーズする。固まるか、もしくは定型文をしゃべる。考えていない人はいつも出くわしてから考えるし、問われてから考える。普段から自分で自分に問いかけるということをしない。だからある意味で彼らにとっては毎回が初めての出会いと言える。外から働きかけられない限り考えない。

自分で考えるということを教えることはできるのかどうか、それが僕にはわからない。こうして話している私自身が自分で考えているのかどうかもわからない。ただ、なんとなく自分で考えているねという人の評価は合うことが多い。一方で考えてない人の評価も、合うことが多い。そういう点から皆の基準は似ている可能性があると思っている。

僕が自分で考え始めたと感じた時は、自分が考えていなかったことを認識した時だった。そういう意味である種のメタ認知のようなものなのかもしれない。

いずれにしても自分で考えることは大事だと思う。そこには孤独感が関係してくるように思う。

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