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緊張からパニックに至るメカニズム
2015年03月12日
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競技会で緊張してしまい力が出せないということはよくある。また、人前で喋る際に緊張してしまいうまく言葉が出てこないこともよくある。やっと思いを寄せていた相手と食事ができたのに気が利いたことが言えなくてそれを取り繕うようにどんどん緊張が高まり、結局つまらなくて終わってしまう。そういう経験は少なからず皆にあると思う。

緊張したくないという相談を受ける時があるが、というときに私にはそれは緊張が生むパニックのことを話しているように感じられる。緊張とはエンジンを温めるようなものでそれ自体は悪いことを引き起こすとは限らない。むしろスポーツなどでは良いパフォーマンスをするために大事なことだと思う。問題は緊張した事で自分が自分にプレッシャーを与え、それが暴走し始めることである。問題は緊張ではなく、何事かに意識がいき過ぎてしまい動かせなくなることだ

競技会でパニックに陥る人は試合結果やそれによる他者からの評価に意識が行き過ぎている。会話がうまくできない人は好きな人と喋っているときに相手が楽しんでいるかどうかに意識が行き過ぎている。簡単に言えば緊張によって力がでない人はうまくやろうとしすぎている。相手がどう思っているかに想いを馳せることは会話において大事なことだけれど、それに頭が支配され、相手が表情一つ一つに過敏に反応するようになるとうまく行えなくなる。パニックにはまる人は期待値をコントロールできない

意識的であるということは必ずしもプラスではない。意識的に行われているものはだいたい不自然で、不自然さを自分自身が認知してしまう時、自然に振舞おうという考えに頭が支配されてしまう。しかし自然になろうと意識的に考えることほど皮肉な話はない。自然さは無意識さに宿る。

パニックは自分がおかしいなと認知したときに深呼吸して向けるべきところに意識を向けることで随分改善されたように感じる。私は競技会でパニックによる失敗が多かったとき、試合結果ではなく2台目のハードルをちゃんと越えることばかり考えた。実はそのことに意味はないのだけれど、自分の意識を放って置くとそれが自分を追い込んでくるので気を紛らわせるにはプロセスに目を向けることはちょうどよかった。

緊張してはならないという意識こそがもっとも自分の緊張をパニックに向かわせる。フランクルの著書の中で吃音が悩みの少年が出てくる。彼がキセル乗車をしていた電車で車掌さんに質問された時、吃音で同情を買いうまくやり過ごそうと思っていた時にだけ、人生で唯一吃音がでなかったそうだ。意識しなければパニックもない。

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