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感心する母
2015年03月06日

振り返ってみると私は母親から褒められたという記憶があまりない。とは言っても、興味を持たれなかったかとそんなことはなくて随分興味を持って育てられたと思う。では、母親は私が何かをした時にどう反応していたかというと、ひたすらに感心していた。

例えば中学校で全国大会で優勝した時に、家に帰ったらよくやったね偉いではなく、あんたはそんなことができるんかすごいのう、という反応だった。なんというか褒めたり叱ったりされるのではなく、そこに一人の人間がいてひたすらに感心していたのが記憶に残っている。うちの妻と実家に帰った時でも、iphoneを使う様を見て感心してたし、僕のおばあちゃんが縫い物をしたりするのだけれど、それを見ながら感心していた。

大人になってみて感心するというのはなかなかに難しいことだなと思った。なにしろ世の中には危険が多い。パッと見た瞬間に何か自分でジャッジしていいか悪いか判断を下したり、またはつい問題点が目についてしまうような人も素直に感心するということはできない。反対に言えば素直に感心してしまう人は騙されやすい人かもしれない。みんなそうならないために、何事にも警戒をする。

感心する母に育てられて何がよかったかといえば、私は何かを決断する際に母を一度も気にすることがなかった。私は私の思うような判断をする。それを母が感心する。褒めたり叱られたりは、働きかける側の価値観で基準が決まる。褒める、には相手をコントロールしようとしている意図がどうしても混じる。叱られることはあって、何が母親の価値観で悪とされることかはなんとなくわかったが、褒められることがなかったので、母親に褒められようと頑張るということが一度もなかった。私はただ私が頑張りたいから頑張っていた。

感心は、ガードを解いていないと生まれない。それがいいことか悪いことかはよくわからない。人より損をすることも多いだろうと思うけれど、それでもやはり僕は世の中に感心する人間でいたい。

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