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衰退と進化
2016年11月11日
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私は進化論が好きだ。一見日々の生物の営みはなんの脈絡もないように思えるけれども、生物がどんな風に淘汰され、そして進化してきたことを知ると、なんと生き物は適応力があるのかと驚かされる。

ダーウィンは進化を適者生存だと説いた。それだけ聞くとなるほど環境に有利な方向に進化適応した種が生き残るのだなと思いがちだけれど、それはふりかえった時の話で、あくまでその当事者とその時代では進化なんてものは感じられないのではないか。ひたすらにそこには変化と衰退があるだけなのではないかと思う。例えば変異により首が長いきりんと、短いきりんがいたとして、振り返って生き残った方を進化と呼ぶのかもしれないが、その当時はただの変異でしかなかったのではないかと思う。

つまりいつも変化をする時には、それが進化と呼べる変化なのか、または衰退に繋がる変化なのかはよくわからないのではないか。環境はコントロールできないし、予測もできない。変異自体も(これから先の人間界ではわからないが)コントロールできない。ただ時々ランダムな変化があり、生き残るかどうかが決まる。もしかすると生き残り自体も適応ではなくてただたまたまその種が生き残っただけなのかもしれないが。

一方収斂進化というものがある。異なる種の生物が、同じ環境に適応した結果あまりにも似た形に収束するというものだ。いるかと、サメと、あとはなんとかという生き物が、違う種でいながら水中で移動に適応した結果、かなり似た形になっている。爬虫類と、哺乳類と、魚類。

時間軸を広げてみれば、無限大に生物が変化し全てが生き残り、多様性が広がり続けるなんてありえない。必ず衰退し死に絶える種があり、一方で新しく生まれてくる種がある。乱暴にいうと、新しく種が生まれることと、衰退して死に絶える種があることはセットなのだと思う。

生物の本質は生まれそして衰退していくものだと思う。無理やり、現代の仕組みに当てはめればこの生まれ衰退していくリズムをいかに心地よく行うかが活性化するために大事なことだと思う。衰退させない、死なせないというのは自然ではない。

いろいろ批判はあるけれども、私は利己的な遺伝子の中のmemeというアイデアが好きで、やはり社会の中で組織も生まれ死に絶え、国も生まれ死に絶え、人も生まれ死に絶えていく中で、DNAのようにひたすらに繋がっていく文化的な遺伝子なるものがあると思う。あまりに好きすぎでmemeという社名の会社を作った。ブッダの偉大なところはmemeを残したことだと思う。DNAが箱(生物)は生まれ死んでいくなかで、変化しながら脈々と繋がっていくように、memeも残っていく。

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