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象徴型リーダーと実務型リーダー
2016年03月08日

若気の至りで、昔は将来スポーツ界のリーダーになりたいという話をしたところ、とあるおじさんに”だったら余計な活動に手を出さずに、競技に関わることだけやってろ。傷がつくとリーダーになれないぞ”と言われた。その時は、よく意味がわからなかったが、この歳になると少しわかるようになってきた。

スポーツ界でリーダーになる時、象徴型と実務型の二つの形がある。多くのスポーツ選手は前者のリーダーと(意図してかどうかわからないが)して出発する。現役時代がすでに社会にとっての象徴型リーダーとしての役割を担っているとも言える。

象徴型のリーダーはまさに象徴することが仕事になる。一言でいえば存在が仕事だ。変に実務を行ったり、細かいことに発言をして、品位を落としてはならない。存在が仕事なのだが、あまり安売りをしてもいけない。たくさん露出をして、人に飽きられてもいけないし、俗っぽいところを見せて仕舞えば存在感が揺らいでしまう。たまに現れてピシッと立っているぐらいが象徴としては迫力がある。

私もある年齢までは象徴型になろうとしていた(自分ではそう思っている)。ところがある時から象徴としては、自分の競技実績は心もとないと気がついて実務に寄せようと思った時、世の中の意外な反応で驚いたことがある。象徴が実務に入るとき、必ず人はがっかりする。

実務(社会のほとんどの人はこちら側なのだが)は、妥協と矛盾の連続だ。きれいごとだけでは済まない。あちらを立てればこちらが立たずの間をうまく切り抜け、なんとか理想の30%でもいいから着地させないといけない。人も傷つけることも多く、失敗も増え、意図しなくても敵が増えていく。敵が増えれば綺麗なイメージだけではいられなくなり、次第に傷だらけになっていく。

象徴型が実務に入れば、象徴に戻ることは難しい。一方象徴というのはそんなに数が必要ない。象徴型でいようとしてうまくいかなかった人が実務に入ろうとする時にはこれまた厄介なことになる。象徴としてはよくても、実務経験がないと使い物にならない場合がある。象徴をある年齢まで生きたなら、もう象徴を極めていくしかない。これがセカンドキャリア問題だと私は思っている。

象徴はやはり全方位からみて納得感がなければならない。それもそれで大変だろうなと思う。

 

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